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正直な違和感から
以前の私は、
ご利益にすがりたい気持ちで、たくさんの神社やお寺に通っていました。
「ここは◯◯にご利益があるらしい」と聞けば、
そのことをお願いし、
人生が停滞しているように感じるたびに、
幸せになりたい一心で足を運んでいました。
一日に何ヶ所も掛け持ちして回ることもありましたし、
行ける限り通い詰める場所もありました。
何かが変わるかもしれない。
今の自分から抜け出せるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、
お守りもいくつもやたら沢山持ち歩いていました。
(20個くらいカバンに入っていた時もありました。神様が喧嘩するといいますけれども)
変わらなかった理由と、変化のきっかけ
けれど、正直に言うと、
それで劇的に何かが良くなったかと言われると、
そうではありませんでした。
やがて自己否定の気持ちを抱えたまま行動したとしても、
現実は同じところをぐるぐるしているように感じてきました。
「考え方を変えれば現実が変わる」
そんな言葉を本で何度も読みました。
でも、
どうやって変えればいいのかが分からない。
その中で出会ったのが、瞑想でした。
本や先生の言葉を通して、
少しずつ自分の内側を見つめるようになりました。
瞑想を始めたきっかけはこちら➡ なぜ私は、【瞑想】を始めようと思ったのか
外に求め続ける限り、満たされない
以前の私は、
寺社に行けば何かが変わるかもしれない、
良いことが起こるかもしれない、
そんな期待をどこかで抱いていました。
けれど今は、
たとえ良い出来事が起きたとしても、
人はまた次の「もっと」を求めてしまうのだ、
ということを教えてもらい、私自身もそれに気づき始めています。
外側に幸せを探し続ける限り、安心は長く続かない。
幸せや満たされた感覚は、
本当は自分の内側で感じられるものなのだと、
少しずつ分かってきました。
じゃあ、寺社は無意味なの?
私にとって今の寺社は、
- お願いを叶えてもらう場所
ではなく
- 気持ちを切り替える場所
- 日常から一度離れる場所
- 自分に戻るための場所
になりました。
単純に好きだから行くし、相変わらずお願いはしています。
お守りと、感謝の気持ちについて
お守りも、今でも買います。
本当に「これがあれば絶対守ってくれる」と
信じ切っているわけではなくて
持っていると安心するし、いいこともある気がします。
出来る限り感謝も毎年伝えるようにしています。
行けるときに行ってみよう
ブログやYouTubeからスピリチュアルが好きな人、
パワースポット巡りをしている人、
と見られるかもしれませんが、
何かにすがりたい気持ちで動いているわけではありません。
寺社が好きだから行く。
何かを感じる力があるわけでも、特別詳しいわけでもないので、
心が疲れたとき、流れを切り替えたいとき、
行けるときに行ってみよう、という感じです。
寺社通いのまとめ
かつてはご利益で幸せが降ってこないかな~と待っていました。
けれど今は、
幸せはどこかから与えられるものではなく、
自分の内側で感じていくものなのだと、
少しずつ理解し始めています。
寺社は、そのことを思い出させてくれる場所。
これからもそんな距離感で向き合っていこうと思います。