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音と神社と、京都の夏。
昨年の7月、京都の祇園祭・後祭に足を運びました。
以前に前祭に来たことがあったので、昨年はゆっくり後祭を楽しみました。
山鉾町の通りは浴衣の人でにぎわい、
遠くからはお囃子の音が、街全体に溶け込むように響いていました。
五感すべてで“京都の夏”を感じる――そんな贅沢な空気の中、
一番印象に残ったのは、**「音が祈りに変わる瞬間」**でした。
八坂神社と祇園祭の“祈り”
祇園祭の主役は、もちろん八坂神社の御祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
もともとは疫病退散を祈って始まったこのお祭り。
1000年以上続く「祈りの文化」に、今年も触れることができました。
私は昼過ぎに八坂神社の境内を訪れ、しばし本殿の前で立ち止まりました。
賑やかな山鉾巡行とは対照的に、
そこには言葉のない“静かな祈り”の時間が流れていて、
胸の奥がすっと整っていくような、不思議な感覚を覚えました。
音に包まれた夜。宵山の“心の揺らぎ”
夜になると、四条通や室町通周辺が宵山モードに。
屋台の灯りと、町家の格子から漏れるあかり、そして…
- *祇園囃子(ぎおんばやし)**の音が、あちこちから重なって聴こえてくる。
チチンチン…と金属の音、太鼓、笛のリズム。
不規則なようでいて、どこか“心臓の鼓動”に似た、
深いところに響く音でした。
私は北観音山の前で、10分ほど立ち止まって聴いていました。
見上げると提灯が揺れて、周りの人々も言葉少なに、ただ聴き入っていました。
お囃子はただのBGMではなく、
土地に刻まれた記憶のような音なのだと感じました。

音が導く、神社とのつながり
思えば、私は昔から“音”に惹かれてきました。
音楽、声、自然の音、そして祈りのような沈黙。
京都の神社に惹かれるのも、
そこに満ちている“音にならない音”を感じていたからかもしれません。
祇園祭は、一見するとにぎやかな祭りですが、
**その背後にある「祈りの音」**に触れることで、
自分の心と静かにつながることができた気がします。
また、あの音に会いに行きたい
今年は行けなかったけれど、また来年、あの響きを聴きに行きたい。
今度はもっと丁寧に、一つ一つの山鉾の音や意味も味わいながら。
そして、自分の作る音楽にも、
この“祈りのリズム”のようなものを、いつか重ねていけたらと思っています。
最後に:あなたの「音と祈り」は、どこにありますか?
音は、私たちの中に眠る感情をそっと呼び覚ましてくれます。
それが神社の静けさだったり、祇園祭のようなリズムだったり…
あなたが心から整う瞬間には、どんな音がありますか?